朝から「新座合唱祭」へ。10時集合で、まずお偉いさんの話や市議会議員数人の紹介などあって、最初は全員で「新座市民の歌」斉唱。知らないが、まあ歌い やすいメロディ。午前中と午後にそれぞれ13団体、計26合唱団が10分程度ずつ、共演。特に、目の不自由な方々が介護者と盲導犬も一緒に登壇、犬以外の全員合唱が良かった。それに、ウイリアム・バード「四声のためのミサ曲 クレド」の合唱団や、半分は我らの合唱団と重複している女声合唱のハラ―「レクイエムから」も。やはり、宗教曲は難しく、余り今回も演奏されないので、貴重。
歌い終わって、皆笑顔
私たちブルク・バッハ室内合唱団は8番目。いつもなら、トリぐらいなのに、どうも、午後から狭山での合唱祭にも出席する先生や一部団員の都合で午前中になったようだ。楽屋で一回通し練習のあと、本番。最初がハスラー「Ach Lieb,hier ist das Herze」、信時潔「あかがり」、武満徹「さくら」。
ほかの団体だと、持ち歌を全曲歌ったあと、に拍手。でも、私たちの時は、曲がおわるたびに拍手。舞
台裏に退場すると、先生が一人一人にニコニコと握手。まあ、良かったのでは、と。
終わって、席に戻ると、見
知らぬオバサマから、「とても良かったわ。素敵でしたよ。」と褒められ、今回は乗らなかった団員が、「ほかのグループはどこも会場に響かず、大丈夫かな、 と思って聞いたら、ピアニッシモまでが綺麗に響いて、エンディングも決まっていた。」と。
和光市中央公民館で、「和光3・11」の3つのチラシ(①概要②3つのコンサート③オケ・合唱練習日程)を必要枚数印刷。そして、次 は、和光市社協。まず、1階受付で、今回借りた「祭りのはっぴ」をまた12月中旬に借りる予約。次に3階ボラセンで、印刷仕立てのチラシを各種問い合わせ 対応用にワンセット。
合唱団「ブルク・バッハ室内合唱団」、来年3月団体参加!
夜はブルク・バッハ室内合唱団の練習。明後日22日の新座合唱祭で歌うアカペラ3曲を練習。
終わってから、役員会が50分。議題は2つ。団員募集状況、そして、来年3月和光3・11の合唱団共演コンサートへ組織参加の是非。結論は、参加の方向で行くが、特にテノール3名のひとりでも欠けたら参加出来ない、という条件付き。それでも、幹事会での決定は役員会で追認、ということで、嬉しさ半分、というところか。10時終了。
朝から来年3月12,13日コンサートの①チェロ②合唱③オケのそれぞれの1月からの練習日程をほぼ2月までは会場手配、指揮者日程合わせを一覧にし、配布準備が出来た。
そして、出来上がった来年3月12日「チェロコンサート練習日程表」を和光市中央公民館で800枚表裏印刷、さらに、ネット印刷した「コンサート参加者 募集チラシ」800枚、計1600枚をザックで、紀尾井町まで運ぶ。ともかく重い。
和気藹々と単純作業
「NPO国際チェロアンサンブル協会」事務局とボランティアメンバーで、4時から作業開始。今年5月の仙台参加者851人のうち、日本在住者約700人に送付、なのだ。
当初、人数が5人しかおらず、しかも、冗談連発で笑い転げ、のんびりムード。しかし、6時すぎには、勤め帰りのメンバーも加わり、10名を超し、なんとか8時半に終了。 ちなみに、その作業とは、12月26日の「仙台1000チェロ参加者同窓忘年会」の案内と来年3月和光3・11イベントでの「チェロコンサート」募集・練習日程のA4を3枚セットし、 3つ折りにし、一方で、「第5回1000人のチェロコンサート」では間に合わなかった「1000チェロお決まりの金のシール」を一枚ごとに裁断。切手の代わりの郵便局別納スタンプを押した封筒に宛名シールを貼り、三つ折りチラシに返信用はがきとシールをホッチキスどめしたセットを入れ、糊付けして完了。
前日から朝まで小雨。8時、荷物満載の車で、会場へ。小学校の校庭は、いたるところぬかるみ、割り当てられたテントの前も中も小さな水たまりがあちこち。これじゃ、客は来ない、と不安がよぎる。まず、荷物を降ろし、割り当てられた2つの机と4つの椅子の上に置き、とんぼ返りで、また我が家へ。積めなかった商品の段ボールを車に詰め、2度目の搬入。
和光市民文化センターの「展示ホール」と「企画展示室」へ、来年3月の写真展「双葉町のバラ園」(仮題)実行委員長の松田さんを案内。どういう展示をするか、思案。ちょうど、和光市民まつりに向けた市民の絵画・書・華道などの展示作業の真っ最中。単なる写真展じゃなく、アバンギャルドにお願いします、と無茶振り。ついでに小ホールや大ホールのホワイエにも、写真展の案内を兼ねた写真掲示を、と会場視察。「和光市って凄いねえ。こんな音響の良い大小ホー ル、そうはないよ。」。はい。なので、「最大限」活用させて頂きます。
夜、募金箱作り。ステッカー張替るだけ。次に11日、15日裏表兼用の「さんりくチャレンジ倶楽部」と「和光3・11を忘れない実行委員会」の名刺大の首から下げる「身分証」も。
朝、来年3月「チェロコンサート」参加者募集チラシをネットで入稿、また、11月15日(日)和光市民まつりで配るチラシのネット発注も終え、ただちに印刷に取り掛かるよう、両方の代金をコンビニ払い。前者は14日、後者は急ぎで10日出荷。
コンビニで拡大コピーし、10時半に和光市中央公民館へ立ち寄り、午後からの福玉会議で配布するチラシを60部印刷。今回、初めて、「一般団体」では使え なかったリソグラフを紙持ち込みで、「8割減額団体」として無料で利用。但し、事前の原稿チェックあり、なんでも、と言う訳では無論ない。
コンビニでおにぎり2個買って、埼玉労金へ。午後1時半から、「福玉会議」。3時間、避難者団体、支援者団体、大学関係者、そして東電賠償担当など50人 近く。早稲田大ゼミの卒論に避難者調査、インタビューをした女子大生2人が傍聴。県内のあちこちの「避難者の集い」の中に、参考になる取組がいくつもあ り、また、和光3・11の11月15日イベントチラシや、その中のさんりくチャレンジ倶楽部のリーフレット配布も配布。
今後の「和光3・11つながりカフェ」を企画するうえで、色々参考事例が聞けて、有意義だった。
11月15日(日)和光市民まつりで開催する「被災地支援コーナー」での5つのグループの店の宣伝チラシ を大幅に手直しした。さて、これから2時間後には、金沢八景へ向け、出発。11月1日オープンの「牡蠣小屋」入口での「さんりくチャレンジ倶楽部」コー ナー設置作業。
午前10時。和光3・11を忘れない実行委員会。まずは11月15日和光市民まつりの話。当日のボランティア10名ほどを各実行委員の身内や友人に声をかけ、主に和光市駅近くでのチラシ配りに。その後、来年3月企画。残る大きな問題は、3つ。色々なお名前が飛び交うソリスト選定とひとつかふたつか、の写真 展、そして和光市職員大船渡派遣話。
社協から市役所へ移り、昼食。
1時。市民活動推進課へ。2011年以降現在も和光市職員は大船渡市へ派遣され、累計で30人近くになってきた。そこで、来年3月8~10日の平日での 「体験談」を数人に話してもらいたい、と申し入れ。責任者の課長は不在だったが、受け止めて、「イメージはできたので」と、検討頂くことに。終わってから、文化振興公社へ。常務理事と「雑談」。
開演3時。だが、第9第4楽章から入場するので、さらに30分以上の待機。女声陣は控室で雑談に花が咲く。一方、男声陣は、椅子も無く、廊下でじっと。長かった。
第3楽章終盤から舞台横で待機。第3楽章が第九で最も美しく、またゆったりとしていて、ここで眠る観客も多い。舞台裏で待機する合唱団も、目を閉じ、聴き 入る。そして、入場。初めて観客席を見る。一応、2階席中央にも観客。800人弱、だろう。そして、第 4楽章の主題が始まる。指揮者広上さんの明解で、身体全てを使った各楽器への指示や全体のリズム感をつくるパフォーマンスは、見るだけで感動。いよいよ、 バリトンソロ。そして、バスの第1声。「フロイデ!」。あとは一気にジェットコースターで駆け抜ける。200人近い合唱団とテナー3人、バス2人のプロの エキストラの支えで、男声陣も頑張るが、主題を歌い、または高音をずっと発するソプラノの音程と、4本のコンバスに負け気味な5人しかいないチェロの頑張 りが気になる。広上さんの左手も、「出前持ち」の恰好で、ソプラノには、「下がって来たよ。もっと持ち上げて」、チェロには、「もっと大きく」と。それに しても、オケはさすがプロ。広上さんの指揮にすぐに反応し、またどのパートも上手い。(一か所、一音だけ管が揺れた以外)。そして、エンディング。やは り、歌い終わったあとのオケの締めは、何度聴いても絶品。ベートーヴェンの想いがここに集約。泣ける。そして、拍手と「ブラボー」。何度もカーテン(はな いが)コール。
終わってロビーに出ると、観客と合唱団でごった返す。常に広上さんの廻りには人だかり。そして、私もすぐに妻と友人の感想を聞く。「良かった。男声が数の上では少ないのに、良く頑張っていて、聴こえた。」。30分後からロビーで打ち上げ。松本市長の発声で、乾杯。
夕方から、サンアゼリアへ。明日が本番のオケ合わせ。オケは、プロだが、驚くほど若い。また、第九の命、 コンバス4本、チェロ5本だと、コンバスの音がチェロの音を消す。広上流、ピアニカ多用、ジャンプ、右手と左手の交互リズ ムなど面白い。通し稽古が終わり、入退場の練習もして、最後に、再度、小ホールで、合唱指導者より「注意点」の指摘。
夜は、明後日本番の第9練習。始めて「和光市民合唱団」に加え、先週本番が終わったばかりの「志木第九の会」数十人も加わり、会場は一杯。アルト71名、ソプラノ66名、テナー24名、バス31名 計192名が、座席表カウント。来年3月第9の主戦力。
夜の東京駅南口ドーム。2階の「虎屋」カフェで待ち合わせ。来年3月和光3・11の大コンサートを指揮して頂く岸本さんと。始めに、9月、スペインの指揮 者コンクールで日本人初の3位入賞。その記事をガラスケースに収め、わが「和光3・11を忘れない」江頭実行委員長から贈呈。打ち合わせは、「本年3月コンサート」のプログラムや各種資料で説明、そして、来年3月本番に向けた練習日程の調整など。1時間半、お疲れさま。
さて、朝から、多方面の同時多発作業。具体的な、または細かな調整や依頼などを メールで重ね、10時半に、和光市民文化振興公社事務局でまずあるペンディングの詰め。
休日出勤の多い職場、多くが代休か、外出中。でも担当がいたので、 話は出来た。 次にチケット売り場で、これまでの来年3月の会場申請を全面改訂し、ほぼ最終案で再申請打ち合わせ。 11時半、いったん、和光市中央公民館で2月予約の修正。そこで、バタバタ顔見知りと出会う。次に、和光市社協で事務的な書類手渡しし、そこで、サンアゼリア 使用申請をじっくり書き直す。2時前、また和光市庁舎に戻り、庁舎内の美味しく安い食堂で野菜炒め定食を食べ、 再度、チケット売り場で申請書を渡し、舞台担当に来てもらって、12,13日の大ホール舞台の作り方について、相談。2時半、ようやく終了。
夜、所沢の小手指分館で練習中の「所沢フィルハーモニー管弦楽団」にお邪魔。休憩時間冒頭に、来年3月のコンサート勧誘。ここは、本年3月のコンサートに は、弦9名、管6名も参加頂き、大変助かったので、まず、お礼。あちこちの顔見知りと目が会い、ニコニコ。休憩に入り、暫し各人にご挨拶。そして、帰り 際、降り番の曲で、外で休んでいたトラのチューバの方と話が出来、来年3月のフィンランディアをぜひ、とお願いすると、「その日は空いています」と、「快 諾」!「大きな成功」!
午前中の多くの時間、ネット印刷業者への入稿、発注作業に追われた。
そして、和光市中央公民館へ。やっと、念願の「8割減額団体」登録完了の知らせが入り、カードうけとりに。こ のメリットは、使用料が減額になるだけではない。会場予約をこれまでの一般団体だと、3か月前から、が、その2週間前から優先予約出来るのだ。15日から なので、当然、2月土曜日午後の合唱練習会場を予約した。但し、他の「減額団体」と重複すれば、時間の移動などもありえる。また、専用のボックスも貸与され、公民館からの情報などもここへ入る。
夜は、所沢中央公民館の「所沢で第9を歌う会」練習へ、開始30分前に行って、今年3月「和光3・11」コンサートに参加してくれた18名のうちの半数程度とご 挨拶と雑談。7時から開始の前に独特の体操。そして、私が紹介され、今年のお礼や来年3月のお誘いをする。多分3分程度。そして、面白い発声練習で、20 分ほどウオーミングアップしたあと、いよいよ第9。一緒に少し歌って、7時45分、退席。所沢航空公園も静まり返っていた。
今日が、本申込の締切だった。11月15日和光市民まつりの中で、開設される「被災地応援特設エリア」に、私が関わってきた「311 有志」、「和光3・ 11を忘れない実行委員会」「さんりく未来推進センター」の関係の5店舗が出店。昨晩までに来たそれぞれの申込み書を補筆などして、今朝、和光市役所の担当へ送付。早速、パンフが送られてきた。
①フィルハーモニーコーア新座
新座の小学校。1時からの練習20分前に行って、多くの顔見知りとニコニコご挨拶。さらに、全員の座席に来年3月の「和光3・11を忘れないコンサート」
合唱募集チラシを置く。本年3月和光3・11コンサートには、24名参加頂いただけでなく、昨年のここの本番では、「カルミナブラーナ」のトラとして出演までしてしまった。なので、顔見知りが多いのだ。練習開始前の 「3分間」で、来年3月の合唱個人参加の呼びかけ。何人もが、「今年のは本当に良かった。来年も参加しますよ」と言ってくれた。また、10月25日の「和
光市制45周年記念第9」のチラシも置いてきた。
別れ際、「齋藤さん、こっちは、来年12月にフォーレのレクイエムやるんだけど、また参加してくれない?」う~ん。弱い。
②&③
「和光市制45周年記念スペシャル合唱団」&志木第九の会
和光市民合唱団がメインだが、このほか、こちらの一週間前の18日、サンアゼリアで本番の志木第九の会からも50人前後が参加。休憩中に
志木第9の会の事務局長がご挨拶。「広上さんの練習での指摘を本番前1週間で徹底する」。2時間で、全部通す。今回は、ピンチヒッターの指導者。芸大出の 30代。「国技館の5000人第9」スタッフになった、とか。事前にビデオで見てきた、という広上さんの指摘箇所も、都度確認。第9は、どこも大変だが、 特にソプラノ。頑張って~!
④朝霞混声合唱団
今日は、サンアゼリア大ホールで、定期演奏会。実は、和光市民合唱団には、この合唱団と重複加入している方も多い。ちなみに今年3月の「和光3・11」コ ンサートの合唱団に参加した和光市民合唱団37名のうち、8名が朝霞混声メイン。開始前から、年配者の列。その中でも、テノールの「重鎮」が、なぜか、② の第9の練習にいるので、聞いた。すると、「あっちの練習は欠席が多く、本番の歌が歌えないので、降りた。」と。この本番で、ひと段落だろうから、また来年3月の和光3・11に参加を呼び掛けよう。
⑤和光市民合唱団
3時半から、②のあと、指導者やピアノ伴奏交代。メンバーも少し②と出入りがあり、ヘンデル「メサイヤ」第41番と37番。本番の25日終了後、11月3日の練習でようやく来年3月公募説明する。
⑥ブルクバッハ室内合唱団
家に帰ると、数々の修正をお願いした、「団員募集チラシ」第3稿が友人のデザイナーより昨晩出来てきたので、合唱団の幹部へ転送、この手間暇、幹部や役員たちが来年3月のコンサートでまず「合唱団共演コンサート」に団体参加し、そのあとの「大コンサート」で個人参加が少しでも増えれば、の下心。さて。
昨晩は、見ただけのメールを、必要に応じて返信。そして、FBにも記事掲載し終え、9時から、和光市中央公民館へ行き、一般団体登録だった「和光3・11を忘れない実行委員会」について、「8割減額団体」とすべく、 名簿、規約、事業報告、事業計画、予算書、決算書、プログラムなどを添付して申請書提出。一週間程度で登録の見込み。それで、公民館の施設を一般団体より 先に予約出来、かつ、値段も極めて安くなり、かつ印刷機も使えるようになる。
すっかり改装し、改札口も後方端から中央に移動した根岸線「山手駅」。2007年から4年間、月2回ペースで、チェロを担いで、写真正面の坂をのぼって、 オケ練習に通った。しかし、今回、同じくチェロを抱え、上ると、きつくなり、最後の坂の前の公園で休憩。部活帰りの「聖光生」がグループで次々に帰る。受験校だが、中1から部活は参加必須。「全人格教育」と。そして、ようやく、全て新築された校舎にたどりつく。
まず、食堂でロビーコン サート。そして開演。1500以上入る会場、2階席はクローズでも、まだあちらこちらに空席。団長曰く「団員の集客努力が全く足りていない」。
2時開演。ヴェルディ歌劇「運命の力」序曲ー結構行けてる。そして、シベリウス交響曲第6番ー久しぶりに来たかったのは、これがお目当て。日本ではあまり演奏されない、弦の刻みが難しい曲。しかし、全楽章、わずかな乱れを除き、概ね大健闘。ブラボーと叫ぶ勇気はない。休憩、そして後半。休憩時間15分の間に、かつてのチェロやヴィオラ仲間たちと久しぶりと、「ハグ」。そして、後半。ブラームス交響曲第4番ー名曲。そして全楽章で、チェロが短調の泣ける主旋律を奏でる。ああ、いいなあ。チェロは9人。私が在席した当時のメンバーに加え、新たに3人加わっていた。逆にいなくなったのも、私含め3人。プログラムには、「学校関係者の団員募集(但し、フルート・チェロを除く)」。もうあの山手駅からの急坂を上り下りする体力もない。さて、これも、全体としてまとまっていて、良かった。会場からはブラボーの歓声。アンコール前に、指揮者田部井剛さんがこれまでの3曲を脱線しながら解説。そして、「3曲とも短調の哀しげな曲だったので、明るい曲で」と、シベリウス「カレリア組曲」より行進曲。終わってから、「和光3・11」コンサートへのオケ参加募集チラシを団長に渡し、退散。
9 時半から、中央公民館で、来年1月の「合唱練習会場」を予約。10時から12時まで和光市社協で「和光3・11を忘れない実行委員会」。懸案事項がひとつ ひとつ解決し、新たな課題も出てくる。しかし、企画の骨格は出来た。終わってから、早速、宿題をこなす。白子コミセンで、写真展示用のボードを確認、その 後中央公民館を再度訪問、これまでの一般団体から8割減免団体への申請書類をもらう。これが通れば、会場予約がもっと早くから出来、かつ使用料も飛躍的に安くなる。
3時半~5時まで会議、といっても、そのあとの「納涼会」準備で、集中した論議できず。ただ、コンサート企画の大筋は決まる。
5時半から、「和光3・11 を忘れない」コンサートの第1回から第3回までのダイジェスト版を流しながらの「納涼会」。地元や大船渡からの伝統芸能、合唱練習風景なども入っていて、 どれも懐かしく、新鮮。松本市長や末っ子ちゃん、3月の佐々木指揮者、今年3月裏方スタッフとして手伝ってくれた市職員や気仙沼大島支援者、そして、オケや合唱の参加メンバー、双葉町復興支援員など15人で賑やか。来年3月のイベントへいよいよ始動。細部はまだまだこれからだが、今週中には、企画概要案内と、参加者募集開始。
和光市役所6階で、2日後に行う「和光3・11を忘れない」コンサートの第1回から第3回のDVD上映に使う、スクリーンやプロジェクターなどを借りる。それから、和光市文化振興公社。来年3月イベントで、色々常務理事と話すが、まだもやもや。
そのあと、チケット売り場でようやく確定した大 ホールの日程に合わせ、小ホールや展示ホール、企画展示室などを予約し直すが、なんと、3月13日(日)には、すでに他の団体が企画展示室と展示ホールを予約済み。12日までの写真展は、13日には、小ホールかそのホワイエと大ホールホワイエに移してやるほかない。それと、展示期間を4日間から6日間に延ばす。その分観客は増えるかも、が唯一の救い。
来年3月12日(土)の「チェロアンサンブル」の企画について、某氏と初打ち合わせ。当初は、メールや文書のやりとりだったので、疑問や懸念もあったようだが、1時間余りで、こちらが望んでいた 最高の結論。「共に主体的に連携とってやろう!」。
「和光3・11」実行委員3人、和光市駅で待ち合わせし、和光市文化振興公社へ。理事長、常務理事と面談。いまだはっきりしないの来年3月の日程を確定するよう、要請。
それから、和光市中央公民館ホールで、今後の打ち合わせ。まず、8月19日、実行委員会を和光市内のマンション集会所でやることに。いよいよ、来年3月の様々な企画を本格的に作り、19日の実行委員会で承認されれば、ただちにさまざまな方面、とくに合唱やオケなどへの参加呼びかけを開始する。実行委員会終了後、「納涼会」。今年3月に尽力頂いた方々も招待し、来年3月イベントへの協力を仰ぐ。
来年3月10~13日「和光3・11を忘れない」イベントでの写真展の「その2」。「その1」は、先週末北上尾で拝見した「英国人2人の撮ったモノクロ双 葉町」。今度は、「米国人が出版したカラフル双葉町ばら園写真」。英国人は、双葉町で中学の英語の先生だったが、今度は、NHKBS衛星放送の元ニュース キャスター。この写真展の実行委員長のカメラウーマンと3人。
同じ双葉町を撮り、同じ英語のキャプチャー。これまでの日本語表示、日本人目線から、大きく 飛躍できるチャンス。まだ、それぞれ「ジャストアイディア」段階で、可能性、思いつきを存分に話し合った。「その1」「その2」の同時展示展示ホール隣の 企画展示室でのイベントも、アイディア盛り沢山。前向きに検討して頂くことになった。このバラ園のご紹介などはゆっくり後日。
なお、残部少ない貴重な写真集を頂き、「妻がバラが大好きなので」と、有難くメッセージのサインまでして頂いた。(当然、持ち帰って、妻は「狂喜」)。ま た、この会員専用レストラン、現金はダメ、会員専用チケットでの支払い。カメラウーマンには、コーヒーをご馳走になってしまった。これも、ありがたい。最 後の給仕さん、二人の別会計に手間取っている姿も、とても微笑ましかった。
午後、和光市で実行委員2名を乗せ、国道17号を北上。片道30㎞弱、1時間20分。北上尾の障害者支援施設での「英国人2人の福島県双葉町」の写真展 へ。双葉町復興支援員と、来年3月の和光3・11イベントでの写真展示とイベントの相談。
7時すぎ、北朝霞駅で「和光市民合唱団」の支援者のひとりの女性と待ち合わせ。近くのコメダへ。私はコメダでしか頼めないアイスクリーム山盛りのコーヒーを注文。会社で「部長賞」をもらったので、「311 有志」の支援金にカンパしてくれる、というのだ。これで、2回目。有難い。必ず、仮設住宅訪問の際の「手土産」に使わせて頂く。様々な話題で2時間、雑談。9時半、ご自宅近くまでお送りし、帰宅。
午前は、「和光3・11を忘れない実行委員会」。といっても、カメラが壊れ、いつものように写真が撮れない。出席は、男性5人、女性3人。おおよその来年 の企画論議。そして、雑談、でもないのだが、全員の出身小学校とその校歌についての開陳で湧く。長崎、広島、福島の方も、都内山の手の方も、下町の方も、 色々。再来年の企画になりそうだが、「廃校小中高」の「校歌」合唱も良いね、と。
午前10時から、来年3月のコンサート企画検討打ち合わせ。
「和光3・11イベント」最終日のコンサート2つのイベントについて、市民合唱団と市民オケの団長からの選曲、指揮、ソリストなど多方面からの意見や、実行委員会芸術監督のアドバイスなどで2時間。
いくつかの検討課題が出て、合唱団、オケとも役員会で話し、今月中の企画確定を目指すことに。難しいのは、今年の大成功の体験でまた参加したい、という大 勢の方々の参加の場が可能か、またはさらにこれまでとは違う顔ぶれで、マンネリを打破すべきでは?と揺れ、さじ加減が必要。12時になったので、解散。
朝から、急きょ、双葉町復興支援員と、来年3月10~13日(予定)の和光市民文化センターサンアゼリア、展示ホールの「写真展」打ち合わせ。今年は浪江。来年は双葉、でということになるかも。企画展示室も使って、加須始め、杉並や練馬などにも分散して避難、孤立している双葉町出身の「つどい」も共にどうか、と。ほぼ行けそう。