和光市民まつり」最終日のメインイベント。
会場は「サブテーマ」が「被災地支援のまつり」らしく、本部には募金箱。そして、被災地の2011年、そして熊本での支援活動、さらに現在の写真パネル。「和光3・11を忘れない」チラシを本部横の和光市社会福祉協議会ボランティアセンター受付に置き、自由に取って頂きます。
また、被災地の2011年当時の宮城県沿岸部各地、またこちらで用意した現在の東北3県の写真ボードに立ち止まる方々へ、「和光3・11」チラシを手渡しながら、「行ったことが無い」方々には、写真の地域ごとに説明しました。
すると、その中には、「実家は石巻の渡波地区で家が全部流されたんで写真に写っているか見てたんだ」「実家は南三陸町。実家は津波でやられたが、幸い、親や親戚は、デーサービスに行っていて助かった。行くたびに町が変って、(写真のように)最近は防災センターも土盛りで見えなくなったよね。」「私、実家は女川。実家は流された。」「自衛隊員として2011年3・11直後から郡山で後方支援してました」など様々な「3・11」体験者が。
そして、こちらは、ピンクの「和光3・11」ジャケットを羽織り、大勢の来場者へ、終日、駐車場に16店展開した「被災地応援ブース」の来場者、特に行列の皆さんへ手配りしました。すると、主に幼児連れのご夫婦は、「エッ、未就学児入場可、無料?絶対行く」など好反応。そして、「私、谷川賢作さんと合唱しました。」という中学生や、地元の有力者の御曹司にも、今年から新設する「和光3・11」サポーターになって頂くことも了解頂くなど、数百枚のチラシ配布で、一定のPRが出来ました。
会場では、毎回支援頂いている和光市松本市長を囲んで、「和光3・11」実行委員たちの一部とパチリ。
駐車場の「被災地応援イベント」会場では、「和光3・11」ののぼりや横断幕を掲げた、毎年「和光3・11」コンサートのホールで「支援グッズ販売」頂く3店舗も、頑張りました。(もちろん、来年3月11日にも出店頂きます)
①「渡和の会」-和光市民の「大船渡支援」グループ
過去には、「石巻市民交響楽団」へ2015年3月「和光3・11」コンサート遠征時には、5万円のカンパも頂き、今回の「市民まつり」の窓口になって頂きました。
②「緑の真珠 アスナロウの会」-気仙沼(大島)支援グループ
埼玉県の春日部、熊谷、越谷など普段はやや交流の乏しいエリアから、「飲み屋で知り合った」仲間など大勢が青いTシャツで奮戦。「つみれ汁」完売。終了の1時間前辺りからは、「わかめ」「とろろ」など特産品、100円引き!!これまた完売!
③「あしたの会」ー石巻震災孤児支援グループ
スカイツリーの墨田区から、予定していたスタッフドタキャンを、大手外資系会計会社の「岩手支援」スタッフが、プライベートで「スタッフ志願」の小学校2年生とともにカバー頂き、助かりました。元々は長くインドの女性自立支援事務局だったリーダーが、3・11以降は「石巻訪問時に市役所に直談判」して個人情報不開示の壁を越え、ご両親が津波で亡くなり、「孤児」となった30人超への支援を開始。当時小学生もすでに高校生へ成長をとげ、今や個人同士の交流も、と言います。その意味でも、この計算が得意な小2の「スタッフ」に、なにか見えない繋がりも感じました。
なお、私は「和光3・11」チラシ配布のほか、11時半からの舞台での「被災地応援イベント」PRタイムを任され、司会。岩手、宮城、福島、茨城、熊本の代表に、それぞれ2分間スピーチをお願いし、皆さん、ご当地の状況や支援のお礼などと、出店ブースでの販売品のPR。最後は司会を本年3月「和光3・11」で司会役だった実行委員にバトンタッチ。「わこうっち、どこへ行くの~~」「え~~、さんまの香りがする駐車場へ行きたい~~?」などと明瞭な声が会場全体に広がり、広場からは見えずらい駐車場への案内も果たせました。
またほかの実行委員も、例えば「WOKOゴスペル」の一員として、または「健康診断」の体力測定で、活躍。また、「和光3・11」実行委員会のオブザーバー、和光市社協常務理事は、熊本代表でくまもんになったり、児童合唱団とともにダンスしたり大忙し。そして実務で「和光市内中学生」や「大人のボランティア」手配など大変貢献頂いているボラセン担当も、受付で「和光3・11」チラシも置きながら、の楽しげな「業務」。皆さん、お疲れ様!!!!!!